東日本大震災と都市・集落の地域文脈 -その解読と継承に向けた提言-

日本建築学会地域文脈形成・計画史小委員会でまとめた「東日本大震災と都市・集落の地域文脈 -その解読と継承に向けた提言-」が公開されました。都市計画遺産研究会、前現代研究会からは、清野、田中傑、中島、中野が寄稿しております。「都市計画遺産」からの提言も含まれておりますので、是非、ご一読ください。

「東日本大震災と都市・集落の地域文脈 -その解読と継承に向けた提言-」

三陸の復興計画史の追加調査

1月 18, 2012 by · Leave a Comment
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佐々木家稲荷への避難経路の確認(釜石市)

唯出(陸前高田市)で集落の長に話を伺う

東日本大震災の津波水位(大船渡市)

2012年1月7日から9日まで、都市計画遺産研究会のメンバー(加嶋、佐野、田中、中島伸、中島直、初田、松原)で、三陸沿岸の都市、集落の調査を行いました。今回は、夏にまとめた復興計画史調査の補足調査、および現在の復興計画の計画史的検討を目的として、東京大学GCOEのS3部会の活動の一環として実施しました。山田町から南三陸町までを3日間でまわりました。震災から10ヶ月が経過し、少し復興の兆しが見えるものの、まだまだ津波の傷が生々しくのこる被災地にて、計画史の知見から何を見出すのか、それをどうやって生かせるのか、各々思考するとともに、夜には互いに熱い議論を交わしたのでした。復興の力になるべく、頑張ります。

浅草大火跡区画整理と忘年会

12月 24, 2011 by · Leave a Comment
Filed under: 都市計画遺産研究会 

2011年12月23日、第8回都市計画遺産研究会は、季節柄、忘年会を兼ねたまちあるきということになりました。まちあるきのテーマは、我が国の「都市計画事業第一号」の探求。あまり知られていないのですが、1919年に都市計画法が制定され、1923年に関東大震災が起き、帝都復興事業が開始されるまでの間の4年の間にも、各都市で何度か大きな大火があり、その大火の跡の復興にあたって、当時の都市計画法第13条に規定された区画整理事業が適用されたのです。東京では、以下の二つの大火後、初めての都市計画事業として、区画整理が行われました。
・東京市四谷区新宿の大火(1921年3 月、焼失面積約2 万坪、焼失戸数604 戸)
・浅草田町の大火(1921年4月、焼失面積25000坪、焼失戸数1241戸)
しかし、この両地区、大火後の区画整理のさらに後、前者は戦災復興区画整理、後者は帝都復興区画整理が周囲も含めて重ねて実施されたため、現在では周囲に埋没してしまい、そのエリアは一見すると分かりにくくなっています。  

さて、今回は、まずは浅草神谷バー前に集合し(総勢10名)、浅草寺の裏手にひろがる浅草田町を目指しました。浅草田町大火、そして関東大震災後にもともと田町にもあった浅草寺の子院が集団移転した有名なお寺の団地をとおりぬけて、富士通りから浅間神社を経由して山谷掘まで地区を縦断し、その後、引き返すかたちで地区内を踏査しました。区画整理前、区画整理後とを比べると分かるように、この復興区画整理の設計上のポイントは浅間神社の扱いだったようで、もともと浅間神社前でL字に折れていた富士通りは、区画整理により山谷方面にまで延伸されるのですが、浅間神社前で微妙に角度を振り、ずらすことで、神社の正面性を残したまま、うまくその裏手方向に伸びていく、かつ神社前にちょっと不思議な広場的空間を生み出した、というところが、都市計画遺産的には興味深いところでした。周囲の帝都復興区画整理事業地区との違いは、街区の規模等で何となく認知できるかな、といったところで、まぁ、はっきりとこれっといった(「ブラタモリ」で取り上げたくなるような)特徴はつかめなかったかも知れません。力不足でした。  

ということで、浅草の調査を終えて、続いて新宿へ、という予定だったのですが、ここで「外は寒いし、まちあるきはほどほどにして、早く忘年会を」という無言の合意形成がなされ、思わず18時前にもかかわらず、浅草ひさご通りの創業130年の老舗、米久本店に直行、新宿についての資料解読(何といっても研究会ですから)をさささっとすませた後、乾杯。皆でおいしく牛鍋をつつきました。それぞれ一皿分を食して、米久さんを出た後は、浅草で飲むといえばここしかないという浅草公園本通り(通称ホッピー通りとか、煮込み横丁だとか)に移動し、二次会。おそらく、ここでは熱く都市計画(とそのひろがる関連領域)についての議論が交わされたはず・・・。ということで、都市計画遺産研究会の2011年は、浅草の片隅で大変おごそかに暮れていったのでした。  

浅草田町大火後の復興区画整理

浅草浅間神社前(日が暮れかかっています)

牛鍋よ 食べる前から 舌鼓

参加者(前:津々見・田中暁・岡村・初田 後:松原・大沢・中島直・中島伸・田中傑・佐野)

前現代委員会の進捗

12月 8, 2011 by · Leave a Comment
Filed under: 前現代遺産研究委員会 

今年度から始まった日本建築学会の若手奨励特別研究委員会ですが、現在、委員が順次、発表を行うかたちで進めています。10月28日は、田中傑さん(芝浦工大)と初田香成さん(東大)に防火建築帯を中心とした商店街の建築の話、12月2日には、西成典久さん(香川大)と中島伸さん(練馬まちづくりセンター)に東京の戦災復興区画整理について、充実した発表を行って頂き、参加者で全員で前現代遺産の特質について議論しました。二回の発表に共通して、「基準化」というのがひとつのキーワードのようです。今後もこうしたかたちで研究会を続けていきますが、来年の建築学会大会では、ここでの成果をもとに、パネルディスカッションを予定しています。眼前の空間に蓄積された何気ない時間の塊を、現在、そして将来の都市生活の幸福に結びてけていく回路を探求していきます。

Great Places in Canada

都市計画遺産研究会では、今年度から頂いている科研(基盤B)で、海外における都市計画遺産を巡る取り組みを調査したいと思っております。さて、海外情報にも載せているように、アメリカでは、アメリカ認定都市計画家協会(AICP)が1986年から2008年にかけて、アメリカの都市計画史上重要な計画や事業を対象としたNational Planning Landmark Awardを選定し、アメリカ都市計画協会が2007年から都市計画が生み出した優れた街路、近隣、公共空間を選定するGreat Places in Americaプロジェクトを実施していますが、お隣のカナダでも、同様の取り組み、Great Places in Canadaが始まっております。

Great Places in Canada
http://www.cip-icu.ca/greatplaces/en/

選定にあたってオンラインでの投票という仕組みが取り入れられている点、興味深いところです。

過去の津波被害からの復興計画史調査

ご報告が遅れてしまいましたが、この夏に、都市計画学会の実施した「過去の津波被害からの復興計画史」調査に、都市計画学会共同研究組織である都市計画遺産研究会のメンバーも協力しました。岩手、宮城における復興計画史に関する資料を収集し、都市別に整理しました。報告書自体はまだ先の発行になりそうです。都市計画遺産研究会としては、ここで得た知見を「三陸海岸都市の都市計画/復興計画アーカイブ」に反映させて公開していくのと同時に、引き続き、今回の被災地のより詳細な調査を行い、減災のための都市計画、まちづくりについて提言していきたいと考えています。なお、夏の調査に基づいた簡単な報告を、メンバーの中島が『建築雑誌』2011年11月号に寄稿しました(中島直人「計画遺産のアーカイビング 三陸地方の復興計画史からの展望」)。また、同内容を、明治大学建築史・建築論研究室主催の都市発生学研究会でも発表しました(当日の報告内容については、青井哲人先生がブログに感想を書いて下さいました)。以上、是非、ご一読ください。

前現代研究委員会が始まりました。

9月 1, 2011 by · Leave a Comment
Filed under: 前現代遺産研究委員会 

さる8月21日に、日本建築学会「前現代都市・建築遺産(の)計画学的検討」【若手奨励】特別研究委員会、略して前現代研究委員会の第一回会合を、建築会館にて開催しました。委員全員が集まり、それぞれの関心について紹介しあいました。今後、委員が順番に研究成果を発表していき、来年の建築学会大会ではPDを開催して、前現代、つまり戦後から1960年代くらいまでの都市・建築遺産をどう今後の建築的創造や都市計画・まちづくりに活かしていくのかについての議論を深めていきたいと思っています。

第5回都市計画遺産研究会

7月 24, 2011 by · Leave a Comment
Filed under: 都市計画遺産研究会 

2011年7月22日、東工大にて、第5回都市計画遺産研究会を開催しました。前半は「都市計画遺産」リストとそのプレゼンテーションを巡って、遺産の評価軸やグーグルアース上での公開インターフェース、戦災復興関係の写真コレクション等について、議論しました。後半では、明治大学の青井哲人先生と石榑督和さんをゲストにお招きし、「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」についてのご発表を頂いた後、東日本大震災の被災地における復興計画史をめぐる様々な論点について、意見を出し合いました。これまでの被災地における復興計画を「都市計画技術」として省察してみる必要性が痛感されました。そして、研究会後は、いつものように、懇親会へ。都市計画史という学問を、いかにいきいきとしたものにするのか、いかにいきいきとそれに取り組むのか。そのようなことを実践的に考えて、行動していきたいと思っています。

「都市計画遺産」を巡る論点整理

7月 10, 2011 by · Leave a Comment
Filed under: 都市計画遺産研究会 

昨年11月に都市計画学会の研究発表会の場で開催したWS「『都市計画遺産』の可能性を探る」で頂いたご意見や、同時に実施した識者アンケート等の結果をもとに、都市計画遺産研究会メンバーの津々見崇と佐野浩祥の両名で「都市計画遺産」を巡る論点をKJ法A型図解化してみました。

「都市計画遺産」を巡る論点整理

今後、事例を調査し、議論を重ねながら、「都市計画遺産」の可能性をより明確にプレゼンテーションしていきたいと考えています。今回の論点整理に対しても、再度、広くご意見を頂ければ幸いです。

どうぞ、よろしくお願い致します。

三陸の復興計画史に関する二つの論考

都市計画遺産研究会で作成した「三陸海岸都市の都市計画/復興計画史アーカイブ」を活用するかたちで、研究会メンバーの中島直人と田中暁子の共著で、以下の二編の論考を執筆しました。

  • 「巨大津波に向き合う都市計画 津波に強いまちづくりに向けて」(『都市問題』、2011年6月号)
  • 「三陸の過去の津波被害と復興計画」(『都市計画』、291号)
  • 後者については、日本都市計画学会のウェブサイトで全文公開中です。

    今回の復興にあたって、「過去を知り、未来を展望する手がかりとする」ということを実践していきたいと考えています。
    ご関心のある方、是非、ご一読下さい。そして、アーカイブの方も、是非是非、ご活用下さい。
    資料紹介等のご相談も受け付けております。ご連絡は都市計画遺産研究会幹事(manager[atmark]planning-heritage.net)までお願い致します。 Bolest hlavy

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