趣旨

研究会の趣旨
(2009年10月、日本都市計画学会研究交流組織応募書類より) 

我が国の近代都市計画は、1919年の都市計画法の制定をその嚆矢としてみると、もうすぐ100歳を迎えようとしている。本研究会は、「我が国の近代都市計画が現在までに生み出してきたもの、そしてその中で将来に遺していくべきものは何か」を問い、それらを新たに提起、定義すべき「都市計画遺産」(planning heritage)という概念のもとで整理し、今後の都市づくりにおける扱い方について検討していくことを目的とする。 

このような作業を既存の都市計画史学からの展開として見ると、都市計画の理念や制度の形成、都市計画が生み出した実空間や都市形成過程を歴史的に明らかにするという従来の問題意識を継承しつつも、現在や将来の都市づくりとの関係性を積極的に見出し、構築していくというある種の野心のもとでそれを批判的に乗り越えていくことに他ならない。また、景観法や歴史まちづくり法の制定に象徴される現代の都市保全、歴史や文化を活かしたまちづくりという文脈からは、未だに歴史や文化の対象として認識されることの少ない近代都市空間(戦後も含む)やそれを生み出した主体、理念、制度、プラン等の歴史的・文化的価値を探究していくことで、いわゆる歴史都市ではない、一般の都市における歴史や文化を活かした都市づくり、まちづくりの基盤、方法論を構築していく作業ということになろう。 

近代都市計画が生み出した都市空間の多くは現在も現役で使われ、生きられている空間であり、今後も都市で暮らす人々のニーズの変化に対応していくことが求められる空間であるという前提のもとで、では一体何をどのように保全活用していくのか、また近代都市計画の特徴の一つであるプランやそこに込められた理念という意味レベルでの遺産をどのような形で保全活用していくのかといった点が、「都市計画遺産」を巡って議論すべき重要な点となる。 

更に本研究の特徴として特筆しておくべきは、こうした問題意識に基づいて、従来は東京や大阪などの一部の大都市に限定されがちであった都市計画の歴史研究を、積極的に全国の地方都市へと拡げていくことである(しかしそれは単に対象の拡大に留まらず、資料的な制約のもとでの新たな都市計画史研究の方法論の開発を伴うし、また法定都市計画に限定されない、多様な都市形成の計画的行為への視野の拡張をもたらすだろう)。また、全国を俯瞰的に見ると同時に、幾つかの市町村と連携して、具体的なフィールドで精度の高い共同研究を進めることも想定している。 

 以上の研究を通して、究極的には、近代日本都市計画の100年を目前に控えた現時点で、改めて都市計画の「計画」が持つ歴史的、文化的な価値について、史実に基づいて議論を進め、今後の我が国の都市計画の文化的、思想的基盤を固めていきたいと思う。 

なお、「『都市計画遺産』とは何か」ということを議論し、明確化していくこと自体が本研究会の大きな目的であるが、コアメンバーによる事前の議論では、「都市計画遺産」については、おおよそ次のようなイメージで議論を進めることができるのではないかとの意見が出ている。すなわち、「都市計画遺産」は、狭義で言えば、法定都市計画事業や規制によって生み出された実空間であり、特に未調査の地方都市においてはこの狭義の遺産を把握するところから始める必要があるが、研究会としては、そうした基礎を固めた上で、単に都市計画事業や規制だけではない、多元的な主体による何らかの計画的行為によって生み出された実空間を広義の「都市計画遺産」として扱っていく姿勢が必要である。また、「都市計画遺産」は、必ずしも都市の全体性の評価を前提とするものではなく、身近な都市空間や地域・地区のスケール、つまりまちづくりのスケール感を出発点におくべきである。「都市計画遺産」と従来の建築遺産や土木遺産との相違点は、計画的文脈や意図は従来的な作家的・作品的な価値づけとは異なる何気ない都市空間の意味付けを可能とし、更に個々の都市空間同士の何らかの意味的な繋がりを想起させ、ネットワークとしての遺産としての性質を帯びること、また、建築、土木、造園などといった分断的な都市空間把握を超えて、景観・風景的な空間認識を包含すること、などが挙げられる。そして、こうした「都市計画遺産」は、伝統的建造物群保存地区や景観地区などの選良的、限定的な都市保全・景観形成制度の限界を超えて、ごく普通の都市の近代以降の都市の履歴(特に法定か非法定かを問わず、多様な都市計画が確かに実施されてきた都市の中心市街地の近代の履歴)の乱暴な消失を防ぎ、本質的な意味での都市の歴史を継承しつつ、それを現在に生きる遺産として十二分に活用して現代的な都市的魅力を生み出すような地区の設定の根拠を提供する可能性がある。  

我が国の近代都市計画は、1919年の都市計画法の制定をその嚆矢としてみると、もうすぐ100歳を迎えようとしている。本研究会は、「我が国の近代都市計画が現在までに生み出してきたもの、そしてその中で将来に遺していくべきものは何か」を問い、それらを新たに提起、定義すべき「都市計画遺産」(planning heritage)という概念のもとで整理し、今後の都市づくりにおける扱い方について検討していくことを目的とする。 

このような作業を既存の都市計画史学からの展開として見ると、都市計画の理念や制度の形成、都市計画が生み出した実空間や都市形成過程を歴史的に明らかにするという従来の問題意識を継承しつつも、現在や将来の都市づくりとの関係性を積極的に見出し、構築していくというある種の野心のもとでそれを批判的に乗り越えていくことに他ならない。また、景観法や歴史まちづくり法の制定に象徴される現代の都市保全、歴史や文化を活かしたまちづくりという文脈からは、未だに歴史や文化の対象として認識されることの少ない近代都市空間(戦後も含む)やそれを生み出した主体、理念、制度、プラン等の歴史的・文化的価値を探究していくことで、いわゆる歴史都市ではない、一般の都市における歴史や文化を活かした都市づくり、まちづくりの基盤、方法論を構築していく作業ということになろう。

 近代都市計画が生み出した都市空間の多くは現在も現役で使われ、生きられている空間であり、今後も都市で暮らす人々のニーズの変化に対応していくことが求められる空間であるという前提のもとで、では一体何をどのように保全活用していくのか、また近代都市計画の特徴の一つであるプランやそこに込められた理念という意味レベルでの遺産をどのような形で保全活用していくのかといった点が、「都市計画遺産」を巡って議論すべき重要な点となる。

 更に本研究の特徴として特筆しておくべきは、こうした問題意識に基づいて、従来は東京や大阪などの一部の大都市に限定されがちであった都市計画の歴史研究を、積極的に全国の地方都市へと拡げていくことである(しかしそれは単に対象の拡大に留まらず、資料的な制約のもとでの新たな都市計画史研究の方法論の開発を伴うし、また法定都市計画に限定されない、多様な都市形成の計画的行為への視野の拡張をもたらすだろう)。また、全国を俯瞰的に見ると同時に、幾つかの市町村と連携して、具体的なフィールドで精度の高い共同研究を進めることも想定している。

 以上の研究を通して、究極的には、近代日本都市計画の100年を目前に控えた現時点で、改めて都市計画の「計画」が持つ歴史的、文化的な価値について、史実に基づいて議論を進め、今後の我が国の都市計画の文化的、思想的基盤を固めていきたいと思う。

 なお、「『都市計画遺産』とは何か」ということを議論し、明確化していくこと自体が本研究会の大きな目的であるが、コアメンバーによる事前の議論では、「都市計画遺産」については、おおよそ次のようなイメージで議論を進めることができるのではないかとの意見が出ている。すなわち、「都市計画遺産」は、狭義で言えば、法定都市計画事業や規制によって生み出された実空間であり、特に未調査の地方都市においてはこの狭義の遺産を把握するところから始める必要があるが、研究会としては、そうした基礎を固めた上で、単に都市計画事業や規制だけではない、多元的な主体による何らかの計画的行為によって生み出された実空間を広義の「都市計画遺産」として扱っていく姿勢が必要である。また、「都市計画遺産」は、必ずしも都市の全体性の評価を前提とするものではなく、身近な都市空間や地域・地区のスケール、つまりまちづくりのスケール感を出発点におくべきである。「都市計画遺産」と従来の建築遺産や土木遺産との相違点は、計画的文脈や意図は従来的な作家的・作品的な価値づけとは異なる何気ない都市空間の意味付けを可能とし、更に個々の都市空間同士の何らかの意味的な繋がりを想起させ、ネットワークとしての遺産としての性質を帯びること、また、建築、土木、造園などといった分断的な都市空間把握を超えて、景観・風景的な空間認識を包含すること、などが挙げられる。そして、こうした「都市計画遺産」は、伝統的建造物群保存地区や景観地区などの選良的、限定的な都市保全・景観形成制度の限界を超えて、ごく普通の都市の近代以降の都市の履歴(特に法定か非法定かを問わず、多様な都市計画が確かに実施されてきた都市の中心市街地の近代の履歴)の乱暴な消失を防ぎ、本質的な意味での都市の歴史を継承しつつ、それを現在に生きる遺産として十二分に活用して現代的な都市的魅力を生み出すような地区の設定の根拠を提供する可能性がある。

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