【アトラス04】 一人施行区画整理による良好な郊外住宅地 –常盤台の計画住宅地-

8月 12, 2013 by
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一九二三(大正十二)年の関東大震災後、東京の郊外への都市拡張が本格化する中で、各私鉄の鉄道会社は乗降客数の増加を狙い、沿線の住宅地開発を行っていた。板橋区常盤台は、一九一四

(大正三)年より開業した東武東上線を運営する東武鉄道によって開発された住宅地で、元は貨物の操車場を予定して用地確保していた駅前の土地二七haで計画された。当地では、土地買収からそのまま分譲という形を採らず、都市計画法十二条の規程に基づき区画整理を実施した。当初は、単純なグリッドパタンによる区画整理を実施しようとしていたが、理想的住宅地の建設を掲げる東武鉄道の社長の意向で、内務省、都市計画東京地方委員会の指導により設計を白紙に戻して、街区設計が行われた。


図1 常盤台のプロムナード(筆者撮影)


図2 昭和11年 常盤台住宅地案内図(図版出典:参考文献2)


東武鉄道社長の理想的住宅地建設と、内務省のこれまでに蓄積した住宅地開発技術の実践の場として、両者の意向が合致し、この住宅地の基本設計は小宮賢一が手がけた。小宮は当時内務省に入省したての若手技師であり、菱田厚介、北村徳太郎、本多次郎らの上司が設計指導にあたったと言われている。ここで、小宮はそれまで大学で学んできた欧米住宅地の設計手法を活かし、それまでの住宅地開発ではまだ日本では見られなかった手法をふんだんに採り入れた設計を試みた。越沢によると、東京で当時計画されていた五〇〇m間隔で東西南北に計画されていた細道路網計画について、小宮は上司から「この予定線には捉われなくてよい」と指示があったと言う。この指示がどのような根拠で出された、またその後実現に向かったのか詳しいことは分らないが、そうした特殊な状況において、実現した例であることは確かである。

 

具体的に設計内容を見てみると、まず宅地規模は百坪程度とゆったりとした敷地規模を確保し、後に建築協定の原型となる建築規約を設けることで、良好な住宅地の維持、更新を担保した。街路計画を見ると、住宅地をほぼ一周する環状道路(用地買収できなかった地区があるため完全な一周ではない)によるプロムナードと駅前ロータリーから延びる放射道路の組合せで、地区の街路が大きく形成しており、当初のグリッドパタンによる街区構成とは全く異なる地区設計を行っている。このプロムナードは曲線を大胆に採り入れて中央には植樹帯が設けられ、特徴的な街路景観を生み出している。また、欧米の住宅地設計で開発されたクルドサックによる袋地の設計、ロードベイによる沿道緑地といった手法の導入も行われた。また、クルドサックの袋地には、災害非常用のために路地空間も設計された。このように、様々な空間技法が区画整理内で実施されたことで、常盤台は日本の戦前の住宅地設計において希有な空間形成の実現を可能にした。これは、グリッドパタンを決して良しとしない内務省の街区設計に対する考え方が端的に表れていると言えよう。常盤台は、鉄道会社が土地を買上げ、一人施行による区画整理が実施されたことで、単一土地所有者の強い意向を反映し、他の組合施行では実現できない特徴的な市街地形成を行うことが可能となった。また、可能であったからこそ、常に情報を仕入れ、最新の欧米の技術等も踏まえていた技師たちによるこれまでにはない、空間づくりを都市計画に基づき実践することが出来た貴重な例と言える。

 

【参考文献】

(1)越沢明「東京都市計画物語」日本経済評論社、一九九一年

(2)板橋区教育委員会生涯学習課文化財係「常盤台住宅物語」文化財シリーズ第八五集、板橋区教育委員会、一九九九年

執筆:中島伸

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