神戸の闇市 埋もれた記憶に光 神戸大院生が研究(神戸新聞、2012年12月25日夕刊)
現代の都市・建築遺産の計画学的研究特別研究委員会のメンバーの村上しほりさんの研究が神戸新聞にて報道されました。非常に地道な歴史研究にこうした光が当たるのは、嬉しいことです。とりあえず、下記、記事から思いっきり引用します。
http://eonet.jp/news/kansai/kobe/article.cgi?id=60168
神戸の闇市 埋もれた記憶に光 神戸大院生が研究
(12月25日 16:20)
戦後、神戸の省線三ノ宮‐神戸間(現在のJR線)の高架下にできた闇市の形成過程や変容を追う研究に、神戸大学大学院人間発達環境学研究科博士課程(歴史社会学)の村上しほりさん(25)=神戸市東灘区=が取り組んでいる。全国各地で闇市の研究があるが、神戸で体系的にまとめた史料がほとんどないといい、村上さんは戦後の埋もれた歴史に光をあてる。
1945年8月15日~48年6月30日の神戸新聞に目を通し、関連記事を抽出。当時を知る商店主らにインタビューなどをして昨年修士論文をまとめ、日本建築学会の優秀修士論文賞を受けた。
当時、政府運営の鉄道は省線とされ、その後、国鉄に。論文によると、高架下の闇市は約2キロにわたり、屋台が約1500軒が並び、「三宮自由市場」と呼ばれた。高架南側の通りと緑地帯はバラックが埋め尽くした。
当時の本紙は闇市の様子をこう描く。「『甘い甘い』『ひとつ五円』の呼び声、渦巻いて蝟集(いしゅう)する黒山の群衆、車道にはみ出た男女の間を警笛を絶え間なく鳴らして通り抜けようとするトラツク、ジープ」「人目をひくのは妙な饅頭(まんじゅう)を二、三十個ばかり入れた籠を抱へる行商人…」
占領期に進駐軍向けの売店で物資購入や特別配給の権利があった中国、台湾、朝鮮人は高価で甘い食べ物を売り出すことができた。露天商は引き揚げ者らの受け皿となり、露天商組織が形成された。組織対立、警察の取り締まりが頻繁にあり、新聞には「取締隊が初の出動 禁制品に粛正のメス」「露店粛正始まる“神戸名物”に終止符」という見出しが躍った。
立ち退きになった業者によって、現在のJR三ノ宮駅東に通称「国際マーケット」が誕生。朝鮮人の商人組織が取り仕切り、菓子やゴム靴を売る問屋数百軒がひしめいたという。同駅南にできたバラック飲食店街「ジャンジャン市場」は港湾労働者らでにぎわった。
村上さんは現在、範囲を兵庫区新開地にも広げて調査、「神戸の闇市の特徴は在留外国人の存在感があるところ。焼け野原から形成され、衰退していった過程を追いたい」と話している。
修士論文の入手希望者は村上さん(shihori.myu@gmail.com)へ。
[神戸新聞社]
Comments
Tell me what you're thinking...
and oh, if you want a pic to show with your comment, go get a gravatar!