成熟社会 都市ストックの再編
3月 16th, 2012

別冊BIOCITY「富士山、世界遺産へ」

BOOKEND社から「別冊BIOCITY 富士山、世界遺産へ」が発刊されました。中島は「富士講の記憶を新たなまちづくりと観光の力」にというタイトルで、昨年の夏から研究会で取り組み始めている富士吉田の御師集落を紹介する記事を書きました。研究会の取り組みのバックグランドの説明です。ひそかに、研究会メンバーの写真も掲載されています(観光ガイドを紹介する写真、i-padを使っているが実は・・・)。なお、サブタイトル、「埋もれて行くもう一つの富士登山とまちの歴史」となっていますが、校正が反映されていないところがあり(タイトル、サブタイトルは編集者の方が付けてくださったものです)、本来は「もう一つの富士登山とまちの歴史」が正しいです。ここに訂正しておきます。富士吉田の歴史、文化資源は、決して「埋もれ行く」ような方向には向かっていません。また、誌面の都合上、カットされてしまった地図を下記に掲載しておきます。それにしても、他の論考はどれも大変勉強になりそうなものばかり、充実していますね。

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1月 20th, 2012

【書評】和辻哲郎『風土』 その2

 本書は、著者和辻哲郎が海外を旅した際の実感と、その旅先でハイデッガーの「時間と存在」という本に出会ったことを契機として「風土論」という新しい概念を考察したものである。主にアジア地域を「モンスーン」、アラビア・アフリカ・モロッコなどの乾燥地帯を「砂漠」、ヨーロッパ地域を「牧場」と定義付け、これらの3つの類型を主軸とし、それぞれの風土における人間の性質、芸術や宗教の志向などを論じている。それぞれの土地に存する「風土」は、気候や食物の恵みなどの既にそこに存在した「自然」と、その自然と共に生きる「人間」との間柄を認識する方法であり、「自然」と「人間」は独立した個体同士だという概念を否定するものである。人間は自然と対峙・共存してこそ今の「人間」の在り方が成り立っており、この関係性の中での対峙・共存の仕方、知覚・認知の仕方がその土地固有の「風土」である、ということである。

 本書の中での和辻の主張は、後続の学者によって多々批判されている個所もあるようであるが、大枠として正しく、70年前に書かれた書物であるからと言って現代に応用できないなどということは決してない。そもそも地理的な関係で必然的に生まれてきた気象や自然というものがあり、その中で人間(この場合、人類という動物的な単語で示すのではなく、人格を持った個人という意味で「人間」という表現を用いることを強調しておきたい)が生活を営み始めたことは、人間生活の根源に存在するすり替えられない事実であり、その土地固有の自然と協調して、人間は歴史を営んできて、その結果としての現在がある。どんなに時代が変わっても、その「風土」によって育まれた「人間」の、極めて根本的な特性の部分は、古くからの風土によって現代でも規定することが可能だと考える。

 このことは、考えてみれば当たり前で、気象や自然との対話の中で私達は無意識的に均衡を図りながら生活しているのだが、そのことをあえて言語で論じ、体系化して見せたという点で、和辻の取り組みは大変面白いものであったと言える。個人的にはこの本を通じて、改めて人間とその周りの環境との間柄と、その付き合い方が形成する人格や文化について、考えることができたことがとても新鮮であった。

 この議論に対して後続の学者から異論は多々あることは先に述べたが、和辻の議論に明確な根拠がなく、論理性が疑わしいということよりも、こういった視点を改めて認識し、またその視点を活用して人間を論じたという点に和辻の功績は存在する。都市に対して興味を持ち、研究対象としていく私達は、本書の和辻の主張からその「視点」をくみ取り、実際研究に当てはめ、「風土」という観点からも都市を見てみる事が出来るか否か、そこが大切であるのではないかと感じた。

和辻哲郎『風土 人間学的考察』岩波文庫、1979年 (※原著は1935年)
文責:大沼芙実子 (総合政策学部3年)

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1月 20th, 2012

【書評】藤井聡・谷口綾子『モビリティ・マネジメント入門』

 本書は、1990年代後半からヨーロッパやオーストラリア、そして日本で始められ、発展してきた、「コミュニケーション」を重視する新しい交通政策の考え方―「モビリティ・マネジメント(=MM)」―の概要と各事例を、大きく海外・国内に分けて紹介したものである。

 本書では、地域モビリティの衰退や渋滞等のさまざまな交通問題を、単なる技術やシステムの問題ではなく、「人間」が引き起こした社会的な問題と捉えている。そのうえで、コミュニケーション施策などの「ソフト」施策と、交通システムの運用改善や整備などの「ハード」施策を適切に組み合わせながら、当該の地域や交通を、「過度に自動車に頼る状態」から、「公共交通や徒歩などを含めた多様な交通手段を適度に(=かしこく)利用する状態」へと変えていく一連の取り組みを、モビリティ・マネジメントと定義している。

 モビリティ・マネジメントの中心であるコミュニケーション施策の一般的な流れは、次の通りである。

①  MM実施者から、一人ひとりに接触を図り、参加者から情報を提供してもらう。

②  MM実施者の方で、得られた情報を踏まえて、提供する情報・メッセ―ジを改めて加工する。

③  MM実施者から、加工した情報、メッセージを提供(フィードバック)する。

 以上はあくまでも一般的な例であって、実施規模や土地条件によって施策は変わるが、対象となる一人ひとりに、個別的、かつ、大規模にコミュニケーションをとることが、MMにおけるコミュニケーション施策の特徴である。

 本書の、「モビリゼージョンが進行したのは、交通事業者がモビリゼーションに対抗する有効な処置を取れなかったからである」という指摘はとても興味深く、交通事業者が顧客主義のもと、ホスピタリティーを持って利用者と真摯に向かい合うことが必要だと感じた。環境への配慮から公共交通機関の存在感が増している昨今において、モビリティ・マネジメントという考え方は、さらにその流れを加速させる契機になるのではないか。

藤井聡・谷口綾子『モビリティ・マネジメント入門―「人と社会を中心に捉えた新しい交通戦略」』、学芸出版社、2008年
文責:湯浅資(総合政策学部1年)

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1月 20th, 2012

【書評】和辻哲郎『風土』 その1

 その土地の風土はその土地の人間に深く関係する事を改めて学んだ。従って、風土は単に、人間から独立した自然ではなく、人間の有り方であるという事が分かる。本書では、大まかに風土を分けて考察しているが、自然は決して普遍的ではなく、無常であって、唯一無二である。なので、風土による歴史的人間の構造は変わる事のない事実ではあるが、その人間は風土と共に発展するのである。

 その事を本書から学んだ上で、日本の各地方、或はそれぞれのまちにおいても当然風土は細かいところで特性は違い、人間の構造も詳細において特性を変えるのだと考える。だからこそ、まちの構造も、それぞれの風土、即ちそれぞれの風土的人間によって、構造を最適化していかなければならない。まちづくりにおいて、その土地の人間に着目する事はとても重要な調査であるが、それは同時に風土的人間考察も必要である事を表す。それは歴史的・社会的現実であり、捨て去る事のできない人間の本質を見極める上で重要であり、そうした上でのまちづくりは、持続可能なまちを創出するきっかけとなる。

 また、私が本書から発展して考えた事は、世界がボーダーレス化していく中で、各人間は風土的人間という本質を持ちながらも、様々な「ところ」を移動する過程で、風土的人間において発展を多く繰り返す事になる。この過程を繰り返す人間が増えている事は間違いない。従って、各風土においても、純粋な風土的人間の存在が少なくなるのではないかと考える。その代表的な例はアメリカだ。アメリカ大陸においては、多民族国家であるが故に、アメリカの風土がそれぞれの風土的歴史を持つ人間をどの様に発展させていくのか、という疑問にも繋がった。この疑問は、今後『風土』を読み深める意味でも、風土を更に理解していく上でも、考え続けていきたいと思う。

和辻哲郎『風土 人間学的考察』岩波文庫、1979年 (※原著は1935年)
文責:宮地智也 (総合政策学部3年)

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12月 19th, 2011

【書評】西村幸夫編『路地からのまちづくり』

本書では、20世紀における都市計画の中で「自動車交通にまったく対処できない、防災上の問題を孕んだ空間」として位置付けられてきた路地に着目をし、今後の都市計画の中で路地を生かすための視点や、路地が持つ問題点をいかに解決するかについて、事例を含む形で紹介されている。

路地にはいくつかの魅力がある。それは訪れた人に安らぎや懐かしさを与えるといった点でもそうだし、都市空間におけるコミュニティ形成の場としての役割を見てもそうだ。

路地にあふれる生活のにおい、複数の生活が重なるコミュニティの営み、すべての路地に共通する身体感覚・・・それらは来訪者に対して共感をもたらしてくれる。

路地は、地域を分断する都市計画道路とは異なり、同じ場所に住む仲間を形成することが出来る。そこから地域の防災性も向上し、まちはより豊かになることが出来る。

交通手段としての車に着目し、画一的な手法で機能的な計画を進めていった20世紀。それらは都市を発達させるうえで大きな役割を果たしたが、同時に均質的な空間を多数生み出すことともなった。

本当のまちの魅力はそのまちが独自に抱えているものであり、決して数字だけでコントロールできるものではない。路地を見直してまちを見つめなおすことは、従来のトップダウン式な都市計画から離れ、ボトムアップのまちづくりを行うことであるともいえる。ヒューマンスケールのまちづくり、コミュニティ創出を目指した空間を作ろうと思った時には、画一的な基準をそのまま採用するのではなく、そのまちに潜む細やかなものにも目を配り、個性を浮かび上がらせる必要があるのではないだろうか。

そのヒントの一つとして、路地に対する視点があるのではないかと私は思う。都市にとって、路地とは必要なものである。その意義を再認識して見直していくことができれば、21世紀の都市はより魅力的で、人間的な空間へと生まれ変わることが出来るのであろう。

西村幸夫編『路地からのまちづくり』、学芸出版社、2006年
文責:海野沙弥佳(環境情報学部3年)

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12月 19th, 2011

【書評】鳴海邦碩『都市の自由空間 -街路から広がるまちづくり-』

 本書は、都市空間における「自由空間」を、単に空間を設計するという姿勢だけではなく、社会的文化的な現象として組み立てる観点から魅力的な自由空間を作り出すことを目的としている。そのために古代から現代まで、工学から歴史学、人類学を駆使し、都市再生の原点となる自由空間の意味と歴史を描き出したものである。

 本書ではまず、自由空間の原点となる道や道的空間についてアンデスの幹線道路・ニュータウンの道・江戸時代など複数の異なった時代・場所の例を提示し、それぞれの道の歴史や使用例について解説、その後平安京や江戸の街路の特徴について解説している。

 その次に原始時代の集落から空地について分析、古代から空地は人々の生活にとって必然的な空間だったと述べている。

 その後都市の成立過程について解説した後、現代都市における自由空間について解説している。現代の都市においては、自由空間が以前と比較して多様なものとなった。たとえば、地下街はもちろんのこと、駅やビルのロビー、大規模なショッピングセンターなどの新しい形の自由空間も増加した。

 その一方で自動車交通の急速な発達と共に、重要な共有的な自由空間であった街路が自動車によって阻害されていることを問題視している。

 そして様々な現代における自由空間の例を列挙した後、都市の自由空間はそこを利用するその地域の人がまずその空間の価値を発見することが不可欠である、と締めくくられている。

 本書は自由空間についてその原点の歴史・各国の事例から振り返ることのできる包括的な解説本である。特に、近年増加している新しい形の自由空間についての解説は大変共感できた。実際にターミナル駅の駅ビルなどは人々の憩いの場となっている。そこがまさに自由空間なのだと気づくきっかけを与えてくれた。都市のまちづくりを調べている課程で自由空間は必要不可欠な存在であるので、広く勧めることのできる本だと思う。

鳴海邦碩『都市の自由空間 -街路から広がるまちづくり-』学芸出版社、2009年
文責:浅香健太(環境情報学部 2年)

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12月 19th, 2011

【書評】茶谷幸治『まち歩きが観光を変える ‐長崎さるく博プロデューサーノート‐』

本書は、地方大規模イベントとしては異例の、まち歩きをメインに位置づけたオープンエリア型の形式ながら、結果として観光入込客数前年度比+約7%を記録し大成功に終わった「長崎さるく博’06」の企画・運営の過程を総合プロデューサーとして携わった著者の視点で記されたものである。地方イベントに際し、市民ガイドや市民プロデューサーという形で、市民の力がイベントの担い手として最大限に活かされたという意味で異例であり、注目を浴びた「長崎さるく博‘06」において、前例がないという点から多くの障壁が立ち塞がり、多くの人々からイベントの失敗を指摘されながらも、頑なに市民主体を目指した著者を始めとした企画側の人々の苦労は想像を絶する。そういった著者たちが向き合った多くの障壁、またその障壁への対処方なども隠すことなく述べられている点がまた現実的で面白い。

本書を通じて、観光とは何かと考えさせられる。その地域の魅力を余すことなく打ち出し、それを域外の人々に享受し、楽しんでもらうのが観光であり、観光地のあるべき姿なのではないか。至極シンプルではあるが、これが本質であって、これ以上を求めると観光地はその地域らしさを失ってしまうはずである。

著者はこれからの観光地の在り方を以下のような主旨で語っている。―そのまちの歴史や伝統を活かした地域らしさがそこにはあり、地域住民たちがそれらを支える大きな役割を担っている。観光を通して住民が「わがまちらしさ」に目を向け、育み、「わがまち」に愛着や誇りを持つようになることで観光客を受け入れる大きな基盤となる。それが魅力的で持続的な観光地への近道なのではないか。そして、それは魅力的なまちへの近道でもある。―「観光」と「まちづくり」は表裏一体なのである。

茶谷幸治『まち歩きが観光を変える 長崎さるく博プロデューサーノート』、学芸出版社、2008年
文責:赤松智志(総合政策学部3年)

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12月 19th, 2011

【書評】レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』

 ニューヨークのマンハッタンが形成された過程と当時の様々な計画が紹介され、ニューヨークという都市が持つ過密な文化やそれを支える大衆の欲望などが描かれている。

 ニューヨークの開発は1811年にシオメン・デウィット、グーヴァナー・モリス、ジョン・ラザフォードの3人がマンハッタンを13×156のブロック分割する計画を提案したところから始まった。都市を一からつくる際には無機質なブロックに分割し、1ブロックを最大単位としてそれぞれが独自に開発し競争力を高めることが必要であると考え方であった。しかしそれに対して著者は「都市はもはや相補的な都市的断片の寄せ集めではなくなり、各ブロックは基本的に自らを頼りとして、島のように孤立して存在することになる」と当時の理念を批評している。

 この本では様々な建築家のエピソードが紹介されている。レイモンド・フッド(1871-1934)は過密化が問題となっているマンハッタンについて次のような意見を述べた。

「未来のマンハッタンはタワー都市になる。個々の敷地を気まぐれに乱暴に上方拡大する代わりに、複数のブロックから土地を動員してより大きな敷地の上にビルを建設することになるだろう。こうして複数のブロック上に建つ複数のタワーの周囲に生まれるスペースは建てられない部分として残され、これによってタワーはそれ自身の完全性を手に入れるとともに他から独立することができる。」

フッドは1ブロックが開発の最大単位となっている状態から複数のブロックが統合されてタワー化が進み、タワー以外の場所はオープンスペースになりグリッドの形が崩れていくと予想した。そして実際にロックフェラ・センターなどにおいてこのような考え方が実現し、グリッドに対する意識が変化したと著者は述べている。

 当時の建築家や市民がニューヨークという都市を通してどのような夢を抱いていたのかということが貴重図版やイラストと合わせて描かれておりとても興味深かった。

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』、筑摩書房、1995年
文責:宮下貴裕(総合政策学部3年)

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12月 19th, 2011

【書評】宇杉和夫他編著『まち路地再生のデザイン〜路地に学ぶ生活空間の再生術』

 戦後復興、高度経済成長、道路や高速道路を中心とする都市施設が短時間でつくられ、生活空間の大改造が進められてきた。そして現在、こうした20世型のあり方から21世紀型の持続的な都市やまちへの転換が問われている。この本では、このテーマに即して路地に焦点を当てている。路地は失われた郷愁だけではなく、情報交換の場、安全な遊び場、人と地域の関わり合いが深く刻まれているものだ。今まで200年かけて継続してきた路地を残す方が、「ハコモノ」をつくることを目指すより地域の空間文化の持続可能性があると本書では述べられている。本書の構成は三章から成り立つ。一章まち路地再生のデザインの思想と方法、二章討論〜路地的空間をまちへどう展開するか、三章まち路地再生の実例である。路地をどのように都市、まちに活かしていけば良いのか、あるいは活かされているのかを本書では記述されている。

 様々な路地が紹介されている中で感じたことは魅力を感じる路地には歴史があるということだ。例えば神楽坂などの路地がそうである。そこには江戸時代から続く空間システムがまだ残っている。また本書ではヒューマンスケールという路地の特徴を活かした住宅の実例なども紹介されている。ただ同じ路地的空間を有しているとしても、やはり歴史のある路地とは別物のように思える。ここで疑問が生じる。歴史を感じるとは一体何であろうか。子どもの頃からその地域やそこに似た場所で暮らしていたというのであれば、懐かしさを感じそれを良しとすることには納得がいく。しかし初めてその地域に行く人達はどのようにして歴史を感じるのであろうか。路地の統一感、石畳、塀、それらだけが歴史を感じるものであれば、それに着目し新しく造れば済むことだ。実際はそうではないだろう。本書の趣旨とは多少ずれている気もするが、本書をきっかけにこうした疑問が生まれた。

宇杉和夫+井関和朗+岡本哲志編著『まち路地再生のデザイン〜路地に学ぶ生活空間の再生術』、彰国社、2010年

文責:河野和彦(環境情報学部3年)

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12月 19th, 2011

『建築雑誌』に掲載 研究会で読んだ本の抄録

中島研究会では、昨年、ニューアーバニズムの入門書として、『New Urbanism Best Practice Guide』という本を輪読しました。その成果は、日本建築学会の学会誌『建築雑誌』2010年11月号に掲載された文献抄録にまとめました。また、先学期、研究会の学部2年生、渡邊美香さんが取り組んだ『Ecological Urbanism』については、同じく『建築雑誌』の2011年12月号に文献抄録というかたちで掲載されました。英語を読むだけで何か疲れてしまった感もなきにしもあらずですが、ともにオムニバス的、俯瞰的な書物で勉強になりました。前者はCiNii経由ですでに公開されております。後者も1年経過すれば見られるようになるようです。
さて、この研究室のブログに、これから研究会メンバー(主に学部の2~4年生)たちによる、都市計画関係の本の簡単な書評を載せていくことにします。研究会ではフィールドワークなくして都市計画やまちの研究なし、といつも言っているのですが、一方で、常日頃から書物には親しむように、とも。

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